2014年(平成26年)11月8日   計25回の放射線療法が始まった。
午前10時30分  毎回この時間に土日、祝日以外行くようになった。

抗がん剤治療の時は自分で運転して行けなかったが放射線治療は運転して病院まで行けるように体調が良くなっていた😊

11月8日の1回目、初めての放射線療法に少し緊張気味のわたし😨待合室には1~2人の患者さんが待っていた。

ほとんど高齢者の人ばかりだった。

初めての放射線は台に何分間か横になっている間にすぐに終わった。

なんともなかった😊

もう終わり?ちょっとあっけなかった。

しかし、この短時間の照射を25回うけたことで、放射線が体に与える影響を思い知ることになった😨

毎日同じ時間に放射線療法を受けに行くうちに、同じ顔ぶれの人ばかりでだんだんと会話するようになった😊

私の前に受ける人はお婆さんだった。同じ乳癌だった。

私の後に受ける人は50歳くらいの女性で、その人も乳癌だった。

放射線の回数を重ねる毎に会話もするようになっていった😊

ただ何分間か台の上に横になって終わる放射線療法は、最初は苦痛ではなかった😌

毎日、同じ顔ぶれの人たちと会って話す事が少し楽しみでもあった😌

放射線も25回のうちの半分をすぎた頃、放射線の照射の影響で左の胸の照射部分が赤くなり始めた😨

さらに放射線を重ねていくうちにやけどのように真っ赤になっていった😱

真っ赤になった部分に下着があたり痛かったのでガーゼをあててテープで止めた。

次の日の放射線照射の時に慌ててガーゼをとってしまった😨

すると、テープを貼った部分の皮膚が剥けてしまった😱

放射線療法もあと数回で終わるというときに…😅ヤバいと思った

ちょうどわきの下の下着があたる部分の皮膚が剥がれてしまい再びガーゼを当てた。

翌日、さらにテープをあてた場所の皮膚がまた剥がれしまい…ヒリヒリしてもう最悪な状態だった😱

放射線の治療をあまくみていた😅

まさしくヤケドの状態だった😨

放射線療法も終わりにちかくなる頃には同じ時間帯に出会う患者さんたちと仲良く会話するようになっていた😊
そして25回の放射線療法が無事に終わったが照射した部分は真っ赤にヤケドのようになり、皮膚が剥がれた部分は浸出液がでて、ヒリヒリする痛みなどで最悪な状態だった😱

リンパを1箇所とっていたせいか、なかなか治らず、ヤケドのような傷が治るのに約2ヶ月ちかくかかった😅

最初、放射線療法をあまくみていた私だったが放射線が体に与える影響を思い知った😅